PC教室オーナー、飲み屋のママになる1【介護編】

身寄りは私だけ、介護の日々の始まり

母を2013年に亡くしてから、父と私だけの家族になりました。
母が1987年に始めたPC教室を2000年から手伝い始め、2010年頃からは私が引き継いで、個人事業主向けのコンサルティング型PC教室を運営していました。
父は1989年からバー「林間倶楽部」を営んでいましたが、私は直接携わることはなく団体予約が入った時にたまに手伝う程度でした。
父とは適度な距離を保ちながら、それぞれ自分の生活を送っていました。

2023年秋頃から、父の足腰が急に弱りはじめました。
店の買い物や食事の支度、通院付き添いが必要になりましたが、身寄りは私だけ。他に頼れる人もなく、すべて私がやるしかありません。自分の仕事の合間を縫い、事務所と父の店、スーパーや病院を1日何度も往復する生活が始まりました。せいぜい半径300~400m程度の行動範囲しかないのに、私のアップルウォッチは、ほとんど毎日1万歩近い歩数を記録していました。

介護認定と介護サービス

2024年に入ると、ひとりで外を出歩くことは難しくなってきました。時折幻覚も見るようになってきたため、MRI検査も受けました。大きな病気は見つかりませんでしたが、軽い認知症がはじまっている、との診断。この頃には、長時間傍から離れることが不安になっていました。
少しでも公的なサポートが受けられたらと思い、地域包括支援センターに相談して、介護認定の申請しました。
5月に要介護1の認定を受け、週1回のデイサービス、訪問診療、訪問リハビリのサービスが受けられるようになり、僅かな時間でも息抜きの時間を持つことができました。
ここで、介護認定に踏み切らなければ、私が体力面でもメンタル面でも挫けてしまっていたかもしれません。
結果的にはごく短い期間でしたが、この時のケアマネさんをはじめとした介護サービスのスタッフの皆様にはとても良くしていただきました。

療養の日々とお別れの時

しかし、すぐに新たなフェーズへ。
父の83歳の誕生日の1週間後、7月に入ってすぐに、くも膜下出血が見つかり入院・手術をすることになりました。手術後数日の安静期間を経て、完全な車椅子生活となり、リハビリ病院、老健、療養病院へと転院を重ねる日々が始まりました。
ケアはお任せできるようになったものの、衣類の洗濯やケア用品の準備、定期的な介護計画の説明など、病院通いが私の生活の一部となりました。
医療費の工面、施設との調整、日々のケア用品の手配……頼れる人がいない現実は重くのしかかりました。

37年間、ほぼ年中無休で店に立ち続けたマスターが突然いなくなった「林間倶楽部」も開け続けました。私に父の代わりを務める自信はまったくありませんでしたが、父の半生を捧げた店を守ることが、父の一番の力になる、と信じていました。
「帰ってくるまでは、代わりにお店を開けてるからね。絶対戻ろうね」と、父を励まし続けました。
父の帰還を信じて林間倶楽部に通ってくださったお客様たちや、私の周りの仲間たちが私と父の心の支えとなってくれました。

2025年5月末日、父は静かに息を引き取りました。
振り返れば、あっという間に過ぎ去った約1年半。まったく後悔が無い、と言えば嘘になりますし、父が納得してくれていたかどうかもわかりませんが、「できる限りのことはやれた」と思っています。
そう信じて、次に進んで行かなくては、と思っています。

Profile

あおい@myoffice
あおい@myofficeパソコンが苦手なサロンオーナーや個人起業家さんのための記事を書いています。
神奈川県大和市中央林間で完全マンツーマンレッスンの「パソコン教室&サポート マイオフィス」を主宰。
広告業界・経営コンサル業界での経験を生かし、web・SNSなどのビジネス活用をサポート。オンラインだけでなく、チラシなど紙メディアの企画・制作も行っている。
バー「林間倶楽部」ママの顔も持つ。
日本おうちサロンマップ協会 理事/事務局
おとカワやまとプロジェクト プロジェクトリーダー
タイトルとURLをコピーしました